開発ストーリー・シリーズ「開発者の思い」:第30回
『池と魚/人と社会』

シリーズ 『開発者の思い』 第30回
2014年10月07日

『池と魚/人と社会』

『開発者の思い』も、今回で30回目を迎えました。当初、自社の営業担当者に、新製品を開発した経緯や背景を知らしめることを目的として、書き始めました。その思いは、なかなか届かないようですが、既に4年目を迎え、年齢からいって、いつまで本稿を書けるか分からないので、今回は第30回を記念して製品開発から離れた私事について、話をさせてもらいます。

小学生の昔から魚を見るのが好きでした。小学校の時には、西宮駅の近くにあった瓦木小学校から甲子園口の家に帰ると、近所の金魚屋に行き、夕方まで飽きずに魚を眺めていました。お金は全く持っておらず、たまに おこづかいをもらっても、五円、十円の金魚を数匹買える程度でした。ですから、お店からは迷惑な子供と思われていたと思います。父親の仕事の関係で、中学生になると世田谷区に移りました。そして、今度は二子多摩川の高島屋に、度々自転車で乗りつけました。目的は屋上にある大きな池で泳いでいる、大きなソウギョを見ることでした。初めて見るソウギョの大きさに圧倒されたことを、今でも覚えています。

その当時から最近まで、何が楽しくてそうさせていたのか疑問でしたが、還暦近くなった最近、ようやくその回答らしきものに気が付きました。それはゆったり泳ぐ魚を見る事で、日常とは異なるものを見たかったのではないかと思います。

最近、自宅の庭に約2m四方の穴を掘り、延べ4日をかけて自分で池を作りました。そして、今は独立した子供たちが、小学生の時に金魚すくいで取って帰り、その後20年近く60㎝の水槽で飼っていた金魚を放しました。今まで60㎝の水槽で飼い続けており、水槽の短い辺と同じぐらいの大きさになった魚が、寿命で死ぬ前に少しでも広い空間で自由に泳がせたいと思いました。池が完成して、最初にその魚1匹を放したところ、魚は前に向かって泳がず、前ビレを逆転させ後退ばかりしました。池に入れた後しばらくそれを続けたので、長年狭いところで飼われたので泳ぎ方を忘れたのか?と思いましたが、しばらくするとその魚は、元気に前向きに泳ぎ出しました。

魚は普通、前向きに泳ぎます。後ろ向きに泳いだのは、狭い空間に適応して頭がガラスの壁にぶつかるのを防ぐためと、急に広い空間に投げ出され戸惑ったためと思われます。一搬に、魚は環境に適応した大きさまでしか育たないと言われます。ここで言う環境とは、酸素濃度のようですが、特に大きくなる鯉では、到達可能な魚の全長が、池の深さの1/2と言われています。このため鯉を飼うプロたちは、大きな鯉にしたいので、極端な場合、深さ5mの池を掘り、誤って落ちて死んでしまうこともあるようです。

魚を含めた多くの動物は、生まれた環境に適応して生きていきます。自ら判断し、新たな環境を求めて居場所を変えたり、今の環境を変えることは不可能と言えます。

振り返って人はどうでしょうか?私の結論は、人も魚や動物と同じで、良い意味で環境を変えられる人材は非常に少ないと考えます。平均的な人が、前向きな考えで環境を変える能力は低く、火山の活動直後から斜面に最初に入り込むイタドリ(草)や、寿命の長い植物の方が、環境に働きかけられる能力は優れていると思われます。

私は複数の会社組織の中で、30年以上仕事を続けてきましたが、例えば組織の維持・発展に必要となる職場の環境改善や、会社の新しい展開に関して提案のできる人材が、大変少ない事を経験してきました。その反面、新しい提案があれば、それを進められる人が約20%は存在することも知りました。残りの80%の人は、新しい提案に対して、評論家のような発言をする、様子見する、マイナスの批評を行う、反対意見を言うなど、非協力的な人が多く、ひどい場合には、積極的に妨害することも確認されました。

これらの人たちの考え方は共通しており、今までやった事のない提案には、必ず否定的見解を述べることを業務と考えており、かつ当事者意識と行動力を構成する強い意志を持っていません。しかし、良い悪いに関係なく、グローバル化の波は高くなる一方で、会社を維持・発展させるには、新たなビジネスモデルを自ら構築していく事が不可欠となります。話は戻りますが、既にある池で泳ぐしかない魚と違い、人は泳ぐ池を選び、また、池そのものを作ることもできます。現在の日本社会の閉塞感は、かつて日本人が持っていた勤勉さと同時に、新たな異なる何かを貪欲に吸収し、新しいものを生み出す能力が低下したためと考えられます。

産業革命以降、経済活動の活性化に伴い、イギリス⇒欧米⇒日本⇒韓国&台湾⇒中国へと、生産活動の拠点が移るのは自然な流れといえます。しかし、現在でも製薬や分析機器はイギリス、アメリカが圧倒的な強者となっています。保険や金融についても同様な展開となっています。これらの展開は、継続した技術革新とそれを可能にする資本の投資と、新たなビジネスモデルの考案が、成熟した経済国を維持するには不可欠であることを証明しています。

私が26年前にA&Dに入社した理由の一つは、社長に技術者としての可能性を感じ、仕事が面白そうであった事と、もう一つは、これからの日本のメーカーは、汎用となる工業製品ではなく、特殊な技術分野で世界に発信すべきと考えたこと。の2点がありました。特に、計測計量の分野は、産業のマザーマシーンと考えられ、今後も発展できる余地があるとの判断がありました。

既に、アジア圏の追い上げは厳しい状況となり、家電は没落が続き、車も外部環境の変化から、一時的には盛り返しているように見えますが、先は見えないと考えられます。

このような状況下、現在の社会の問題を、教育のシステムが悪い、政治のレベルが低い、景気が悪いと評論しても、現状を変えられないのは明らかです。ですから、各自が自分のできうる事を確実に、勤勉に行うしかないと思います。3.11以降、自分の無力を感じて、仕事に向かう気がしない時期が続きました。製品開発を行っても意味が無いようにも思いました。しかし、自分に何ができるのかと考えた時、人は自分のできることを実直に行うことが、社会にとっても最も貢献できると事だと認識するに至り、迷いはなくなりました。

池を泳ぐメダカや鯉・金魚を眺めるのは楽しいものですが、くれぐれも自身が会社の中を泳ぐだけの魚とならないよう、日々注意する必要があると思っています。

(第一設計開発本部 第5部出雲直人)